2021-06-02 第204回国会 参議院 憲法審査会 第4号
特にCMというのは、その人の情緒に訴えるという側面が非常に強いわけですから、本来、憲法の改正の問題というのは理性的な熟議に基づいて判断がされるということが必要不可欠なんだろうと、そのための条件づくりをするという、そのことの国民投票改正手続法、失礼、憲法改正手続法の内容の重大さということはやっぱり改めて強調させていただきたいというふうに思います。
特にCMというのは、その人の情緒に訴えるという側面が非常に強いわけですから、本来、憲法の改正の問題というのは理性的な熟議に基づいて判断がされるということが必要不可欠なんだろうと、そのための条件づくりをするという、そのことの国民投票改正手続法、失礼、憲法改正手続法の内容の重大さということはやっぱり改めて強調させていただきたいというふうに思います。
今回の規制緩和を図る通知では、保育の基本は、乳幼児が健康、安全で情緒の安定した生活ができる環境の中で健全な心身の発達を図ることと。で、利用児童数が年々増加する中で従来にも増して保育士の関わりは重要と、保護者との連携、あるいは子供を長時間にわたって保育できる、これは常勤の保育士をもって確保することが原則であり望ましいと。
今回の規制緩和を図る通知でも、保育の基本は乳幼児が健康、安全で情緒の安定した生活ができる環境の中で健全な心身の発達を図ること、保育所等の利用児童数が年々増加する中で従来にも増して保育士の関わりは重要、保護者との連携を十分に図るためにも、子供を長時間にわたって保育できる常勤の保育士をもって確保することが原則であり望ましいと述べています。
ある意味、情緒めいた物言いになるかもしれませんけれども、上川大臣のその御決意を、全ての職員のまさに血液の流れに乗せるぐらい行き渡らせていただきたい。そうしたときには、恐らく、先日お亡くなりになったスリランカの女性の方のような悲劇はもう二度と繰り返されないんじゃないかというふうに私は期待もいたしたいと思いますし、確信もしております。
特に子が乳児である場合におきましては、一般に母親を含む養育者との身体的な接触が重要であるといった知見があるところ、子の監護者の指定に当たりましては、そのような知見も踏まえ、これまでの主たる監護者が誰で、どのような監護状況か、子と養育者とが基本的な信頼や安定した関係性を築いているか、築くことができるか、養育者の下で子の情緒が安定しているかなどの事情等についても考慮して、子の利益を最も優先する観点から適切
私たちは、忘れないという情緒的な言葉をたくさん吐いてきております。それを繰り返すことによって、忘れていくということを繰り返してきています。風化と復興はコインの表裏です。それを繰り返すということは、他人事化を繰り返しすることによって成り行きの未来を今生きているということではないかと思います。
それで、私は今日、ちょうど石橋先生からもお話がありまして、忘れない、情緒的な反復による忘却ではなくて、きちっと災害の原点、定点観測のようなことをやるべきだ、そういうお話をいただきました。 そういう意味で、改めて今、私、十年目で議論させていただいているのが、一つは、最悪のシナリオ、福島の原発のあの事故の最悪のシナリオ。
小学校等においては、自閉症、情緒障害、学習障害、注意欠陥多動性障害等の発達障害により特別の支援を受ける児童生徒数は増加しております。
よその新聞がどうしても情緒的であおりがちなものに比べて、日経はいつもいいのを出すんですけれども、これを見ると驚くような結果が出ているんですね。高齢者施設の職員への検査実績は自治体によって差があると。随分差があるわけです。最高の京都府は八六・二で、大阪は残念ながら四四・〇です。 これを並べ換えたものが資料九です。
いま一度エネルギーミックスについて、それこそ石炭火力、再生可能エネルギー、あるいは原子力発電、これらについて大臣自身がハンドリングしていかねば、情緒でなく論理で評価がされる国際会議の場においてリーダーシップを発揮することなど到底できぬと思うのであります。 その点について、改めて、今エネルギーミックスについてどのように考えているのか、御所見を伺います。
そこを見ますと、「保育の基本は乳幼児が健康、安全で情緒の安定した生活ができる環境の中で、健全な心身の発達を図ることであり、また、保育所の利用が一般化する中で従来にもまして保育士の関わりは重要であるばかりでなく、保護者との連携を十分に図るためにも、今後とも最低基準上の保育士定数は、子どもを長時間にわたって保育できる常勤の保育士をもって確保することが原則であり、望ましい」としています。
その上で、学校教育においては、教師と児童生徒、児童生徒同士の関わり合い、地域社会での多様な体験などを通じて、知識、技能、思考力、判断力、表現力等の確かな学力、豊かな情緒、規範意識等の豊かな心、そして健康、体力等の健やかな体、すなわち知徳体のバランスの取れた生きる力の育成を目指すことを目標としております。
先ほど尼崎の築地地区のお話がありましたが、多分、神戸でいうと長田区なんかと似ているようなところだと思いますし、やっぱり安全、安心というのが当然最優先されるべきまちづくりだと思いますが、下町情緒というかにぎわいというか、そうしたこと、生活の場ということも加味しながら、今後そういうふうなことも、これは、要するに平素から様々な準備をしておくということが非常に大事なのではないかと。
文部科学省における定義として、不登校については、何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因、背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるため、年間三十日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたものとしています。
しかし幸いかな、その後、陽性者は出なかったわけですが、ちょっと、そういう情緒的な問題とは別に、検査政策に関わるのでお聞きします。 田村大臣、私との接触が明らかになって以降、自らPCR検査を、濃厚接触者に当たらなかったと思いますよ、PCR検査を受けられたのかどうか、その点を答弁をお願いします。
少し情緒的な話をさせてもらうと、技能実習生が自殺したり失踪したりという非常に困難な状況にあるというようなことを見たら、本当にもう涙が出てくる思いです。
もう一つは、情報の発信の仕方において、余りに情緒的なものというのは、それは事の本質を見誤ることがあるのではないかと思っております。そこは非常に議論は難しいのだと思いますけれども、例えば九条をどうするのということを考えたときに、いずれの立場に立つにせよ、情緒に偏って物事の本質を看過してしまうようなやり方はいかがなものかというふうに私自身は懸念をいたしておるところであります。
教育担当者は、学問的、技術的、情緒的に生徒と教師がつながっているということが大変重要であること、デジタルラーニングは休業、補習時の補完的役割を果たすことにつながること、この経験を遠隔教育にとってスタート地点だというふうに述べたということであります。
決して思いやりといったような情緒的な解釈に流れることのないよう、二〇一七年に決定をいたしましたユニバーサルデザイン二〇二〇行動計画、そこで記されました次のような三点に基づいて進めていくことが重要だと考えます。 その三点というのはこういうことです。 一つ目、「障害のある人への社会的障壁を取り除くのは社会の責務であるという「障害の社会モデル」を理解すること。」
ただ、沖縄の庭先の養豚というか、これは多分全国にもそういう例はあると思うんですけれども、一たび、もしも豚熱に罹患したときには、情緒的な判断ということにはどうしてもならない。付近の養豚農家、いらっしゃるかどうかは別かもしれませんけれども、ひょっとすると、近辺にも大変な迷惑をかけてしまうことになりかねない。ですので、なかなか難しいところだなというのが本音だと思っています。
第一の問題は、各国の反応が非常に情緒的であり、自国中心主義的な発想であるとか排外主義的な考え方に基づいてしまっているからでございます。 各国の政策が科学に基づく知見よりも大衆の感情を優先する傾向が強まっております。これは憂慮すべきあしきポピュリズムであると考えます。ポピュリズムというのは一概に悪というふうに私は捉えているわけではございません。